戦後80年、伝説の天才騎手前田長吉の軌跡とその遺産
戦後80年を迎え、天才騎手前田長吉の生涯とその遺産を振り返る。最年少ダービー制覇の記録を持つ前田長吉の物語。

天才騎手前田長吉の生涯
1943年6月6日、東京・府中で行われた第12回東京優駿競走で、前田長吉は牝馬クリフジの背に跨り、6馬身差の圧勝を収めました。当時20歳3カ月の新鋭騎手として、彼はダービー最年少優勝騎手の記録を樹立しました。この記録は、80年以上経った今でも破られていません。
名牝クリフジとのコンビ
前田長吉は名門・尾形厩舎所属の有望騎手でした。デビュー間もない19歳の頃から、彼は「天才騎手といえるほどの少年」と評されました。クリフジとのコンビで、彼は東京優駿のほか、阪神優駿牝馬(オークス)、京都農商省賞典4歳呼馬(菊花賞)も制しました。
戦争による悲劇
1944年、長吉はヤマイワイで中山4歳牝馬特別(桜花賞)を勝ち、21歳にしてクラシック完全制覇に王手をかけました。しかし、同年秋に召集命令を受けて満州出征。戦後は旧ソ連の捕虜となり、1946年2月28日、シベリア・チタ州のボルドイ収容所で逝去しました。死因は栄養失調とみられています。
遺族の思い
甥孫の前田貞吉さんは、長吉の故郷である青森・八戸で暮らしています。「僕にとって長吉は大切な存在。そして前田家の誇りです」と語ります。遺族は、長吉が残した愛用のムチやブーツなどの遺品を丁寧に保管し、当時の写真や手紙などの貴重な資料も整理してきました。
戦後80年の記憶
戦後80年を迎え、長吉の記憶と思いは消してはならないものとして残されています。貞吉さんは、「競馬にささげるはずだった青春が崩れてしまった。もし自分が長吉なら『なぜ俺はこんなところにいるんだろう』と思ったはず」と静かに語ります。2006年7月、奇跡的に遺骨が戻り、生家からほど近い場所にある墓の脇には慰霊碑が建てられました。そこにはクリフジにまたがる、伝説の騎手の勇姿が刻まれています。
伝説のバトン
武豊騎手は前田長吉について、「そういう騎手がいたことはもちろん知っている。いまこうして競馬があるのも、先人たちがいたからこそ。自分たちも後ろにつないでいかないと」と語りました。戦後の競馬再開には、武一族も大いに関わっており、函館競馬再興に奔走した功労者の孫として、その歴史を振り返りました。