Jリーグで輝いたが日本代表では芽が出なかった名手たちの軌跡
Jリーグで活躍しながらも日本代表では思うような結果を残せなかった選手たちの物語。播戸竜二をはじめとする名手たちの軌跡を追う。


播戸竜二のキャリアの始まり
播戸竜二は1979年8月2日生まれ。姫路市立琴丘高等学校を卒業後、1998年にガンバ大阪に加入した。しかし、加入当初は出場機会に恵まれず、2000年1月にJ2のコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)へ期限付き移籍を果たした。
札幌での才能開花
当時札幌の監督を務めていた岡田武史のもとで、播戸の才能が開花。同年のリーグ戦で15ゴールを挙げ、クラブのJ1昇格に大きく貢献した。その後、ヴィッセル神戸に移籍し、古巣のガンバ大阪に復帰した2006年には16ゴールを記録するなど、Jリーグでの活躍が目立った。
日本代表デビューとその後の苦悩
2006年10月、播戸はイビチャ・オシム監督のもとで日本代表デビューを果たす。その1週間後、インド代表戦では2ゴールを記録し、アピールに成功したかに見えた。しかし、当時の日本代表には高原直泰や巻誠一郎といった強力なライバルがおり、控えにも佐藤寿人や矢野貴章らJリーグで圧巻の成績を残してきたストライカーたちがずらりと並んでいた。この中に割って入ることは非常に困難で、播戸はオシム体制下ではインド代表戦後1試合のみの出場に留まっている。
代表からの遠ざかり
その後、オシム監督が脳梗塞の影響で指揮官を辞任し、新たに札幌時代の恩師である岡田武史監督がその任を引き継ぐと、播戸は何度か招集を受けたが、出場した数試合で目を引くようなアピールに成功することは出来ず。2008年2月を最後に、日本代表には招集されていない。
まとめ
播戸竜二はJリーグでは確かな実力を発揮したが、日本代表では思うような結果を残せなかった選手の一人である。彼のキャリアは、Jリーグと日本代表の間にあるギャップを象徴するものと言えるだろう。