プロ野球選手を育てた田舎の土壌:狩野恵輔氏の少年時代と厳しい父の教え
元阪神の狩野恵輔氏が語る、田舎での少年時代と厳しい父の教えが如何にしてプロ野球選手を育てたのかを探る。

狩野恵輔氏の少年時代
元阪神の代打の切り札である狩野恵輔氏(野球評論家)は、群馬県勢多郡赤城村(現・渋川市)出身だ。2000年ドラフト3位で強打の捕手として阪神入りするが、少年時代からこんにゃく農家である家の仕事を手伝っていたことで「自然と鍛えられていた」と振り返る。
厳しい父の教え
狩野氏は少年時代を思い出しながら、こう話した。「父がムチャクチャ厳しかったんです。礼儀作法とかもね。小学校の時はファミコンとかゲームは駄目。家ではテレビを見ていたら怒られた。『テレビばかり見るな、勉強せい』ってね。で、野球をやっていたら何も言われないので、野球をやるしかなかった。夜に一人でね。友達を呼ぶ時間帯でもないし、マジで、イメージでやっていました。家の前の道を『盗塁だぁ』といってダッシュしたりね」。
一人野球とイメージトレーニング
とにかく野球が好きだった。「『ピッチャーは(巨人の)斎藤雅樹』とか言いながら、今でいうイメージトレーニングですよね。『来た、バーン、打った、ホームラン!』って、自分で塁を回るように走ってガッツポーズしてとか。そういうのをやっていました。“一人野球”です。だから、その当時、いいイメージはできましたよ。だって相手は絶えず、プロ野球の一流ピッチャーなんでね。暗くなってやっていても、家の庭だから怒られないですし……」。
農業との関わり
実家は農業を営む。「米も作っていましたけど、こんにゃくが主でした。群馬は多いんですよ。で、こんにゃくがあるときは畑なんですけど、それが終わったら更地になるんですよ。その期間は極端に言えば、そこでバッティング練習もできるんです。収穫は秋なんで、その後の冬にですけどね。手伝いをするのも普通でしたね。収穫の時は20キロくらいの箱を、小5(1993年)くらいで、一人で移動して、家に帰ったら、またそれを下ろしたりとかもやっていました」。
自然と鍛えられた体
そんな環境で育った。「よく父と話したんですけど、『あれ、結構いいトレーニングになったね』って。何とも思わず手伝いはしていたんですけど、やったら、その時だけ褒められるんですよ。ちょっとお小遣いをくれたりとかもあったし、手伝いは嫌いじゃなかった。僕ね、プロに入って計測したら、背筋力が強かったんですよ。たぶん、小さい時にそういうことをやっていたのもあるんじゃないかなと思います」。まさに自然と鍛えられていたわけだ。