土佐礼子のマラソン人生:スピードではなく粘り強さで勝つ
土佐礼子のマラソン人生を振り返り、スピードではなく粘り強さで勝つ秘訣を探る。

マラソン15戦で5位以内が12回
土佐礼子は、マラソン15戦で5位以内が12回(優勝3回)、二度出場した世界陸上でもメダル2個(銀、銅)と、安定感のある走りが持ち味だった。彼女の粘り強い走りはどのようにして生まれたのか。
大学時代のマラソン初体験
土佐礼子がマラソンランナーになりたいと思ったのは、松山大学3年の時だった。その年、愛媛マラソンに女子の部が新設され、大学生活の記念にもなると考えた土佐は出場を決めた。
社会人初マラソンでの高橋尚子との出会い
1999年に松山大学を卒業すると、三井海上(現・三井住友海上)に入社した。チームには、インターハイで優勝するようなレベルの高い選手がたくさんおり、最初は練習についていくのも必死だった。そんななか、トラック種目でのタイムがなく、自らを「高校生よりも遅い」と感じていた土佐が「自分が生きる道」として選んだのがマラソンだった。
名古屋国際女子マラソンでの好成績
2000年3月、社会人初マラソンとなる名古屋国際女子マラソンでは、高橋尚子をはじめ有力選手が多く出場することになっていた。土佐は高橋に次いで2位に入り、2時間24分36秒の好タイムをマークした。
世界陸上エドモンド大会での銀メダル
2001年8月の世界陸上エドモンド大会では、シドニー五輪の銀メダリストであるリディア・シモン(ルーマニア)に競り負けたものの2位(2時間26分06秒)に入り、銀メダルを獲得した。
ロンドンマラソンでの自己ベスト
2002年ロンドンマラソンでは2時間22分46秒の自己ベスト(当時日本歴代3位)を出して4位に入った。