【プロ野球】荒木雅博氏が語る熊本工時代の猛練習と不屈の精神
元中日の荒木雅博氏が、熊本工時代の猛練習と野球人生に与えた影響を振り返る。不屈の精神がプロ野球選手としての礎となった。

元中日のレジェンド内野手、荒木雅博氏(現野球評論家)は、熊本県立熊本工時代の猛練習がその後の野球人生に大きな影響を与えたと語る。1993年の1年秋から二塁のレギュラーポジションを掴んだ荒木氏は、1994年春の選抜にも出場したが、その後不調に陥り、同年夏の熊本大会では出番なしという無念の結果に終わった。
しかし、荒木氏は「苦しくはなかったんですよ」と振り返る。「たぶん、自分の性格なんでしょうねぇ」と語り、当時から練習に明け暮れる日々を送っていた。自宅から片道13キロの自転車通学は、毎日のいいトレーニングにもなったという。
荒木氏は「家に着くのはだいたい22時とかでしたね。練習は19時くらいに終わって、あとは個人練習。ナイター(設備)がついているので、バッティングしたりして……」と、その頃から練習の虫だったことを明かす。熊本工は野球の伝統校だが、理不尽なしごきなどは少なく、荒木氏の時代から現在の時代に寄っていきだしたと感じている。
1学年先輩には田中秀太内野手(現阪神1軍内野守備走塁コーチ)がいたが、「優しかったです」と荒木氏は言う。「だから僕も、下級生に対して何かあったとしても、もういいやって感じ。そんな時間、もったいないからって練習していました」と、とにかく練習に明け暮れた様子だ。
熊本大会準決勝敗退の1993年の1年夏はベンチ入りできなかったが、新チームから二塁レギュラーとして試合に出るようになった。荒木氏の不屈の精神と猛練習が、プロ野球選手としての礎となったことは間違いない。