18歳の決断と後悔:野崎雅也の浦和ラストゲーム
18歳の野崎雅也が浦和レッズでの公式戦ラストゲームに臨んだ決断とその後の後悔を語る。

2012年に浦和レッズユースからトップ昇格したMF野崎雅也は、分厚い選手層とチームを率いるミハイロ・ペトロヴィッチ監督の難易度の高いトレーニングに苦しむ日々を送った。翌年、天皇杯で大胆なターンオーバーを敢行した際にチャンスを得た。だがそこには今でも悔やむ瞬間が待っていた。当時、18歳だった若者が国内トップクラスの実力者に囲まれて過ごした日々のリアルな思いを語った。
この13年シーズン、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に出場していた浦和はルヴァン杯のグループステージが免除されていて、なかなか若手にチャンスを与えられるようなゲームがやってこなかった。その中、9月の天皇杯2回戦でJFLの栃木ウーヴァFC(現・栃木シティFC)と対戦し、ミシャの愛称で知られる指揮官はスタメンを総入れ替えするようなターンオーバーを敢行。そこで野崎はプロ契約後、初の公式戦のピッチに立った。
浦和駒場スタジアムでのデビュー戦は2-1の勝利。「スタメンで、最後の方は足もつってましたけどやり切って。自分のプレー的には1試合目、初戦で悪くはないと。もちろん改善しなきゃいけないとか、足りてないのはあった中で、まあまあこんなもんじゃないかっていうところも、周りもそうやって言ってくれてた記憶があります」と振り返る。
その約1か月後、3回戦で当時J2のモンテディオ山形と対戦することになった。監督は、2回戦と同様に大幅なターンオーバーを予定していた。スタメンにはベテランの山田暢久が起用されたが、野崎は後半途中に交代でピッチに立った。しかし、実はトラブルを抱えていた。
「今でも覚えているのは、あの試合は足首が。その1週間前ぐらいの練習で、結構ひどい捻挫をしてパンパンで、もう歩くのもきついぐらいの状況で痛み止めを飲んでいて」
たしかに当時、出場の可能性がある若手選手に話を聞こうと、野崎に試合前取材をしようとした。その時に「アイシングの用意をしてきてからで良いですか?」と返された記憶がある。だが、目の前にある出場のチャンスを逃すことはできなかった。
結果的に、浦和は2-2で迎えた後半34分に決勝ゴールを奪われて番狂わせを起こされることになる。その失点は中盤で野崎が相手選手に振り切られたところから生まれたものだった。
「自分のミスというか、自分のとこで切り替えされて。外されて、ズラされて、シュートを打たれた気がするんですけど。今だったらサッカー選手として、普通だったら試合に出場しません、これはやりませんって言えたと思うんですけど、当時の1年に1回あるかないかのチャンスが目の前にあった中で、ノーを言えなかったことはかなり後悔しました。あの時、本当の選手としてあるべき姿は、やっぱりチームが勝つために選択をしたり、プレーをしたり、日々の生活を過ごすっていうことだと思うんですけど、やっぱり試合に出ないといけないとか焦りもありましたし、それでいけると言ってしまったのはすごく記憶にあります」