駒大野球部の過酷な上下関係と希望の光:服部泰卓の挑戦
駒大野球部での過酷な上下関係と雑務の連続の中、服部泰卓がどのように希望を見出し、プロ野球選手への道を切り開いたかを紹介。

駒大野球部の過酷な環境
2007年の大学・社会人ドラフト1巡目でロッテに入団した服部泰卓氏は、2013年に51試合登板するなど中継ぎ左腕として8年間のプロ野球生活を送った。徳島の川島高時代に本気でプロ入りを意識し、腕を磨くために東都大学野球リーグの名門である駒大に進学。初めて経験する強豪の環境は、想像以上に過酷だった。
上下関係と雑務の連続
1学年20人弱、全体で約70人の部員が所属。グラウンドはレギュラーを含むベンチ入りメンバー候補の約25人が練習で使用していた。「メンバーの練習が終わって、グラウンド整備も終わったら、空いたグラウンドを使ってもいい。室内(練習場)を使ってもいいし、そういう時間でメンバー外はやらないといけない。メインはメンバーの手伝いなんですよ」。やることといえば打撃投手、外野でのボール拾いなど練習のサポート。それが終わってから自主練習となる。
希望の光
加えて、野球以外の雑用が多岐に及んだ。「1年生の仕事って山ほどあるんですよ。先輩の洗濯、道具の片付け、ボール磨き……。寮に戻ったら食事の配膳、食器洗いもある。当時は固定電話だったので電話番もありました。それに使いっぱしりも……。今までの環境と違いすぎて、戸惑い以上に『僕は何しに、この東京まで出てきたんだろう』って感じました。プロ野球選手になりたくて、野球でガンガン頑張ってレギュラー争いして、と思っていたのに……野球もやっていないのにレギュラーなんて争えない」。気持ちはどんどん沈んでいった。
石川雅規との出会い
覚悟していた過酷な環境も想像を超えていたようである。「上下関係はかなり厳しかったです。理不尽なことが多すぎて『こんなに簡単に躊躇なく人のことを殴ることができるんだ』ぐらいの感じでした」。入寮から1か月が経過し「4年間やれんのかな、この環境で。続けられるのかな、本当に」と不安が広がっていく中、東都大学野球の春季リーグ開幕を迎えた。
開幕日の2001年4月10日。試合がなかった駒大は、今後の対戦相手の偵察のため部員全員で神宮球場のスタンドに陣取った。「僕も一応行くんですけど、試合に出るわけでもないし、『寮での雑用がないからいいか、ラッキー』ぐらいの感覚で見てたんです。初めての神宮球場だし、『これがヤクルトの球場か』って感じでいました」。第2試合は青学大と中大が対戦。ここで服部氏は青学大の小さなエース石川に目を奪われていく。今年4月、プロ野球史上初となる24年連続勝利を挙げた偉大な左腕は大学時代から格が違っていたのである。