田中パウロ淳一の挑戦:Jリーグでの逆転ストーリー
Jリーグで旋風を巻き起こす田中パウロ淳一の感動的な逆転ストーリーと、彼のキャリアに影響を与えた中村憲剛の言葉を紹介。

田中パウロ淳一のJリーグ挑戦
2025年シーズン、Jリーグに初参入した栃木シティは、J3初挑戦ながら第20節終了時点でリーグ首位に立つ健闘で、旋風を巻き起こしています。その快進撃の中心にいるのが、FW田中パウロ淳一(31歳)です。
キャリアの転機
田中パウロ淳一のキャリアは決して順風満帆ではありませんでした。2012年、大阪桐蔭高から川崎フロンターレに入団した彼は、2年目のJリーグ開幕直後に自ら申し出てクラブを退団しています。その背景には、中村憲剛の一言がありました。
中村憲剛の言葉
「もともとは攻撃的MFやFWでプレーしていました。でも、なかなか試合に絡めず、監督だった風間(八宏)さんと話し、左サイドバックをやることに。内心は嫌でしたけどね。
最初に出た神戸戦では、相手は完全に僕のサイドから崩しにきました。もちろん相手がくるのはわかっていましたが、僕のミスなどで、流れがつかめない展開が続きました(試合は0-1で敗戦)。僕のミスでボールを奪われシュートを打たれて、自陣のゴールキックになった場面だったと思うのですが、憲剛さんは『(パスの出しどころに困ったら)オレにパスすればいいから』と言ってくれました。同じようなミスが続いて、普通ならカッとなって『何回、ミスすんだよ!』と怒鳴られる場面です。それが、優しく声をかけてくれたわけです。そのときに、まだ自分はここで戦うレベルに達していないんだなと痛感しました」
新たな挑戦
自分の得意である攻撃的ポジションでリベンジをしようにも、当時の川崎にはレナトや小林悠ら前線のタレントは多く、加えて翌シーズンには3年連続で得点王に輝く大久保嘉人が加入しました。
「メンツを見たら絶対出られないと思い、心が折れました(苦笑)。しかもひとつ年上のMF大島僚太はバリバリ試合に出ていたし、気持ち的にも焦るじゃないですか。最後は紅白戦にも入れず、ひとりでピッチの脇で練習していましたからね。今振り返れば、別の選択肢もあったかもしれませんが、当時はここにいても成長は難しいと感じ、自分ひとりで退団を決めました」
現在の活躍
現在、田中パウロ淳一は栃木シティの中心選手として活躍し、Jリーグで最も注目を集める選手の一人となっています。彼のストーリーは、逆境を乗り越え、新たな挑戦を続けることの重要性を教えてくれます。